ウエディングプランナーになるための下積み時代
希望する大学に落ちた後、憧れていたウエディング業界にどうすれば入れるか思考していた車地。そんな彼女が最初に選択した仕事は結婚式のホテル宴会場での食事配膳でした。
ただ、配膳業務は想像していたより辛くて。何時間も立ちっぱなし、辛くても絶対に顔に出しちゃいけなくて……ずっと小ぎれいにしてなきゃなので、肉体的にも精神的にも辛い仕事でした」
そんな辛い中でも、車地は自身がプランナーだとしたらどういう式にするか、どういうフローで式運営を行えばいいかを思考し続けました。そして3年間配膳業務を全うした後、車地はウエディングプランナーへの挑戦を決意します。
彼女の働く式場の選定基準は、とにかく式の件数をこなせることと自由度の高い企画ができる環境でした。探して出会ったのは、結婚式場として新横浜で最も人気のあるホテル。面接でウエディングプランナーになりたいという情熱をぶつけ、見事内定を勝ち取ります。
圧倒的な量を追ったウエディングプランナー時代|歴代最年少マネージャーへ
22歳、憧れたウエディングプランナーとしてのキャリアが始まります。
そんな彼女には、自走のために敢えて行ったことがあります。
社内の誰よりも式のプランニング量を経験すると決意した車地。その決意通り、圧倒的な量をこなし、車地がプランニングした結婚式は400組にものぼります。車地は結婚式のプランニングをする上でこんなこだわりを持っていました。
また、式を好きになるために、会場の事については徹底的に調べ上げました。たとえば、伊勢神宮の神前の式を提案するのであれば、伊勢神宮のご利益からルーツまで調べて、新郎新婦との親和性を語れるようにしてましたね。そうすることで企画のバリエーションも増え、結果的に顧客単価も上がっていきました」
自身がプランニングするプロダクトへ愛情を注いだ車地。量と質、共にこだわり抜き、気づけば最年少で25人の組織を束ねるマネージャーへと抜擢されます。車地はウエディング業界で、着実にキャリアを積んでいくのでした。
しかし、燃え尽きてやり切った感覚があったのも事実。採用も兼任しながらマネージャーを2年ほど経験した後、ウエディング業界を離れることを決めます。
完全燃焼した彼女が、再びがむしゃらになれる場所を求めて
ウエディング業界で走り切り、完全燃焼した車地は疲弊しており、1年の充電期間を設けます。
労務に興味を持ったのはウエディング業界を辞める直前までやっていた採用業務がきっかけです。関わる社員に対して、多様な働き方を提案できる知識がないことに歯がゆさを感じていたので……」
充電期間を終えた後、車地は派遣社員として3年間労務を経験します。ただ、車地にとって労務の業務はルーチンワーク程度にしか思えず、ウエディング業界で、がむしゃらに働いていた頃の充実感はありませんでした。
その時、車地は33歳。この年齢とスキルで転職できるのかという不安を抱えながらも、次なる成長のステージを求め、車地は転職活動を始めます。
そんな中、車地が出会った会社がINTLOOP。INTLOOPがやっている事業は人材事業だけでなく、コンサルタント事業、デジタルトランスフォーメーション事業、テクノロジーソリューション事業と多岐に渡ります。人材業界を中心に見ていながら、逆に、人材事業に特化していないところが刺さったと車地は言います。
あと INTLOOPは人材業界や IT業界とまったく畑の違う業界から転職してきた人が大きく活躍していることも入社の後押しになりました。私と同じように元サービス業の人や、車掌さん、ミュージシャンの方も活躍していると聞きましたね(笑)」
成長業界に身を置き自分を高める。そんな姿がイメージ出来た車地は、INTLOOPへの入社を決めます。
成長業界で成功体験を積んで成長するという王道ーー掴んだ異例の三階級昇進
車地のINTLOOPでのミッションはITエンジニアのキャリアカウンセリング。ウエディングでの接客経験以外は、まったく生かせない状況でした。入社当初はIT用語などがまったくわからずストレスを感じる日々。ウエディングプランナーになった頃と同様に、早期に自走したいと考えていた車地はインプットに奔走します。
ウエディング業界と同様、がむしゃらになれる環境と出会えた車地は、INTLOOPでも突き抜けた実績を出します。その結果、わずか入社1年で三階級昇進となりました。INTLOOPは年齢や経験値に関係なく、成果に対して評価をする会社ですが、三階級昇進は異例。その実績や評価に対して車地はこう振り返ります。
成長を感じ、それに対して報いてくれるという理想の会社に出会えた車地。自身の今後についてこのように話してくれました。
新たなビジョンを掲げた車地はさらなる高みを目指して走り続けます。
